2007 8/18(土) 18:40 田中氏より㈱チューリップ企画へ
株式会社チューリップ企画様
先日、知人が購入した貴社の仏教ビデオ「世界の光・親鸞聖人」第2巻を拝見させて頂きました。グラフィック、音楽等、大変よく出来ていると思いましたが、内容について疑問があり、失礼ながら質問させて頂きます。
体失不体失往生のじょう論において、善恵房に以下のような台詞があります。
『皆さん。釈尊が、この世にお生まれになったのは、阿弥陀如来の本願1つを説かれるためでした。どんな人でも、念仏さえ称えれば、死ねば必ず極楽浄土に連れていくという、ありがたいお約束です。』
しかし、聖教に基づけば、善恵房は、このような説法はしていなかったのではないでしょうか?
口伝抄によれば、『小坂の善恵房証空は、体失してこそ往生はとぐれと云々。』と記述されていますから、「死ななければ往生はできない」と説いていたことになります。
どこにも、「念仏さえ称えれば」とは書いていないように思われます。どのような根拠に基づいて「念仏さえ称えれば」と説法していたと判断されたのか、お示し頂けないでしょうか?
また、同じシーンの中に、以下のやりとりがあります。
『お経のどこに、この世で救われるという根拠がありましょうか?』『もちろんございます。阿弥陀如来の本願に、若不生者不取正覚とあります。必ず生まれさせると誓っておられるではありませんか!』
不勉強のためか、この若不生者の『生』を、この世で生まれると解釈している学説を聞いたことがございません。どのような根拠に基づいて、このような解釈をされたのか、お示し頂きたく思います。
こと仏法のことでありますので、内容によっては、ご返信を公開させて頂くことも考えておりますので、その旨、ご了承ください。
田中
※貴社発刊の「とどろき」に掲載されていたアドレスに送信させて頂きましたが、もし部署が違いましたら、お手数ですが、転送をお願い致します。

