㈱チューリップ企画の販売するアニメビデオ『世界の光・親鸞聖人』について、㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦の記録を公開しています。

2007 11/21(水) 23:18 田中氏より㈱チューリップ企画へ

(株)チューリップ企画 サービス課 山田様

ご多忙中、ご返信いただき、ありがとうございました。

>「不体失往生とは、『至心信楽をえた』ということ」
>とも教えて頂きまして、「不体失往生」の正しい意味を知るには、「至心信楽」について知らねばならない、と分かりました。
> そこで、お尋ねしたく思います。

>○「至心信楽をえた」とは、どういうことでしょうか。

> 私たち素人にも分かるように、詳しく教えて頂けないでしょうか。再三お手数をおかけしますが、どうぞ宜しくお願い致します。

『「至心信楽」というは、至心は、真実ともうすなり。真実ともうすは、如来の御ちかいの真実なるを至心ともうすなり。煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし。濁悪邪見のゆえなり。信楽というは、如来の本願、真実にましますを、ふたごころなくふかく信じてうたがわざれば、信楽ともうすなり。この至心信楽は、すなわち十方の衆生をしてわが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまえる御ちかいの至心信楽なり。凡夫自力のこころにはあらず。』

上記の尊号真像銘文の文章の通り、至心とは、如来の本願が真実であるということ。信楽とは、如来の本願が真実であると疑いなく信じること。この心は凡夫自力の心ではなく、他力より賜るものなので、親鸞聖人は至心信楽を「えた」と表現されています。

このことを口伝抄には「至心信楽の帰命の一心、他力よりさだまる」と表現され、その時に往生するので、不体失往生するのだと記述されています。

『念仏往生には臨終の善悪を沙汰せず。至心信楽の帰命の一心、他力よりさだまるとき、即得往生住不退転の道理を、善知識におうて、聞持する平生のきざみに治定するあいだ、この穢体亡失せずといえども、業事成弁すれば、体失せずして往生すと、いわるるか。本願の文あきらかなり。かれをみるべし。』

つまり、不体失往生とは「至心信楽をえた」ことであり、不体失往生した人が真実報土に生まれるのが「若不生者」の「生」ということになります。

あと、私を僧侶か何かと勘違いしておられるのかも知れませんが、ただの仏教ずきの一般人ですので、まったくの素人です。貴社の発行している解説書も拝見させていただきましたが、とても良く研究されており、素人の作ったものとは思えません。

すみませんが、このビデオは素人の集まりで作ったものなのでしょうか?私には、そのように思えませんが。

田中