㈱チューリップ企画の販売するアニメビデオ『世界の光・親鸞聖人』について、㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦の記録を公開しています。

2007 11/27(火) 21:30 田中氏より㈱チューリップ企画へ

(株)チューリップ企画 サービス課 山田様

>>1.不体失往生とは、至心信楽を「えた」ことである。

> これにつきましては、異論ではないでしょうが、「至心信楽をえた」とは、どんなことか、良く分かりませんので、ご教授頂ければ幸甚と思います。

つまり、異論は無いということですね。先々便のメールで根拠を示した上で、以下のようにご説明させて頂きましたが、どの点がご不明だったでしょうか?

> 上記の尊号真像銘文の文章の通り、至心とは、如来の本願が真実であるということ。信楽とは、如来の本願が真実であると疑いなく信じること。この心は凡夫自力の心ではなく、他力より賜るものなので、親鸞聖人は至心信楽を「えた」と表現されています。

>>2.「若不生者」の「生」とは、死んで極楽に「生まれ
>>  る」ということである。

> 誠に申し訳ないことですが、お尋ねしましたことは、ご提示された、「若不生者」の「生」と、「至心信楽をえた」、と仰ることの関係なのですが、関係があるのでしょうか。あれば、どんな関係か、ご教示お願いしたのであります。よろしくお汲み取り下さい。

この御質問にお答えするに当たって、異論がなければ「若不生者」の「生」とは、死んで極楽に「生まれる」ということだという前提で説明させて頂くことになります。しかし、この点に異論をお持ちでしたら、その前提が狂ってしまいますので、まず異論の有無を確認させて頂くのが当然と思います。
「若不生者」の「生」とは、死んで極楽に「生まれる」ということに異論は無いということで宜しいでしょうか?

> ところで、このようにご教導頂きながら、田中様は、当方の住所も氏名も立場もご存じなのに、当方は、田中様のお名前もご住所など、まだ何も存じ上げておりません。このような場合の常識からも、この際、是非お知らせ下さい。よろしくお願い致します。

失礼な書き方になるかも知れませんが、私も、貴方の氏名も住所も存じ上げませんし、別段、知りたいとも思っておりません。貴社の所在地は、ビデオのパッケージに記載されていますから存じておりますが、これは企業として当然のことであって、個人の住所と同列には扱えないと思います。

不必要に個人情報を明かすべきではない、というのが現今の常識と存じておりますが、何か不都合がありますでしょうか?

田中一憲