㈱チューリップ企画の販売するアニメビデオ『世界の光・親鸞聖人』について、㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦の記録を公開しています。

2007 11/28(水) 16:29 ㈱チューリップ企画より田中氏へ

田中様

ご多忙の中、返信を頂き、有難うございました。

> >>1.不体失往生とは、至心信楽を「えた」ことである。
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> > これにつきましては、異論ではないでしょうが、「至心信楽をえた」とは、どんなことか、良く分かりませんので、ご教授頂ければ幸甚と思います。
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>  つまり、異論は無いということですね。先々便のメールで根拠を示した上で、以下のようにご説明させて頂きましたが、どの点がご不明だったでしょうか?

>> 上記の尊号真像銘文の文章の通り、至心とは、如来の本願が真実であるということ。信楽とは、如来の本願が真実であると疑いなく信じること。この心は凡夫自力の心ではなく、他力より賜るものなので、親鸞聖人は至心信楽を「えた」と表現されています。

前に、お示し頂いた根拠で良く分からなかったといいましたのは、愚鈍なものですから、「如来の本願が真実であると疑いなく信じること」、親鸞聖人が「信楽をえた」といわれていることについて、もう少し、どうなるのか、具体的に教えて頂きたかったと思ったからであります。

> >>2.「若不生者」の「生」とは、死んで極楽に「生まれる」ということである。
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> > 誠に申し訳ないことですが、お尋ねしましたことは、ご提示された、「若不生者」の「生」と、「至心信楽をえた」、と仰ることの関係なのですが、関係があるのでしょうか。あれば、どんな関係か、ご教示お願いしたのであります。よろしくお汲み取り下さい。

>  この御質問にお答えするに当たって、異論がなければ「若不生者」の「生」とは、死んで極楽に「生まれる」ということだという前提で説明させて頂くことになります。しかし、この点に異論をお持ちでしたら、その前提が狂ってしまいますので、まず異論の有無を確認させて頂くのが当然と思います。

> 「若不生者」の「生」とは、死んで極楽に「生まれる」ということに異論は無いということで宜しいでしょうか?

「若不生者」の「生」が、死んで極楽に「生まれる」ということだ、ということを前提とされても結構ですので、「若不生者」の「生」と、「至心信楽をえた」とおっしゃることとの関係はあるのでしょうか。あれば、どんな関係か、ご教示お願いしたいのであります。

> > ところで、このようにご教導頂きながら、田中様は、当方の住所も氏名も立場もご存じなのに、当方は、田中様のお名前もご住所など、まだ何も存じ上げておりません。このような場合の常識からも、この際、是非お知らせ下さい。よろしくお願い致します。
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>  失礼な書き方になるかも知れませんが、私も、貴方の氏名も住所も存じ上げませんし、別段、知りたいとも思っておりません。貴社の所在地は、ビデオのパッケージに記載されていますから存じておりますが、これは企業として当然のことであって、個人の住所と同列には扱えないと思います。
>  不必要に個人情報を明かすべきではない、というのが現今の常識と存じておりますが、何か不都合がありますでしょうか?

何か御都合があるようで、田中様の正しい住所やお名前を明かしたくないようですので、いまは不自由ありませんので敢えてお聞きすることは遠慮させて頂きます。

(株)チューリップ企画 サービス課 山田