㈱チューリップ企画の販売するアニメビデオ『世界の光・親鸞聖人』について、㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦の記録を公開しています。

2007 11/28(水) 23:39 田中氏より㈱チューリップ企画へ

(株)チューリップ企画 サービス課 山田様

> 前に、お示し頂いた根拠で良く分からなかったといいましたのは、愚鈍なものですから、「如来の本願が真実であると疑いなく信じること」、親鸞聖人が「信楽をえた」といわれていることについて、もう少し、どうなるのか、具体的に教えて頂きたかったと思ったからであります。

貴社のビデオ解説書に『阿弥陀仏の本願に救われた人は、この世から、絶対の幸福に生かされて往く。何ものもさわりとならぬ幸福に救われる体験を「往生」というのだ。』と記述されている通りなのではないでしょうか?

なお、その続きに、『この世で絶対の幸福に救われた人は、一息切れたら、必ず、浄土へ往って仏に生まれられること。』と記述されています。つまり、不体失往生した人が、死ねば浄土に生まれるということです。

尊号真像銘文には『「若不生者不取正覚」といふは、「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。』とありますので、貴社の解説書の文章から見ても、「若不生者」は不体失往生のことではありません。

>「若不生者」の「生」が、死んで極楽に「生まれる」ということだ、ということを前提とされても結構ですので、「若不生者」の「生」と、「至心信楽をえた」とおっしゃることとの関係はあるのでしょうか。あれば、どんな関係か、ご教示お願いしたいのであります。

こんな失礼な物の尋ね方は無いと思いますが、如何なものでしょう。「前提とされても結構です」と仰るのは、貴方としては認められないという意味にも取れますよ。なぜ「異論はありません」と書けないのですか?

異論をお持ちであれば、まず「生」が死んで極楽に「生まれる」ということだと納得して頂かねば、説明は無駄になります。私に無駄な説明をせよと仰るのですか?

理由も無く、いきなり住所を尋ねておきながら、答えないと、私が都合が悪いから答えないような書き方をされますが、これも如何なものでしょう。

貴方は会う人会う人、皆に自宅住所を教えて回っておられるのですか?普通は、必要性のある場合だけ、教えるものですよ。

田中一憲