㈱チューリップ企画の販売するアニメビデオ『世界の光・親鸞聖人』について、㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦の記録を公開しています。

2007 12/4(火) 22:20 田中氏より㈱チューリップ企画へ

(株)チューリップ企画 サービス課 山田様

> 特に、田中様の2通目には、「親鸞聖人は、『若不生者』を真実報土に生まれることと解釈されています」という発言もあり、てっきり田中様は、「若不生者」の「生」は、「死んでからだけのことだ」と断定されている、と理解せざるを得なかった次第です。

私は最初から、「死んで真実報土に生まれる」という以外の解釈があるなら、お示し頂きたいと書いてきました。根拠に基づいた他の解釈があるなら、当然受け入れるつもりでありましたのに、それを無視し続けられたのは貴社の方ではないでしょうか?

> 決して、田中様の文章を、いい加減に読んだり、田中様の問いかけを無視したりしているからではありません。それどころか田中様の問いに、お答えするために聞き続けているのですから、「返事を出す気も失せる」など、弱気なことをおっしゃらず、力強くご教導下さい。

このように書かれた矢先から、私の再三の問いかけは早速無視でしょうか。ますますお返事する気が失せる文章です。

> このたび、「若不生者」の「生」が、「この世で生まれる」と説かれる根拠があれば示せ、と言われていますが、一例を挙げれば、「本願の不思議をもって、生るべからざるものを、生れさせたればこそ、〝超世の悲願〟とも名け、〝横超の直道〟とも聞えはんべれ」と「改邪鈔」にありますが、この「生まるべからざるもの」を「生まれさせた」とは、これは「真実報土に生まれさせた」ということでしょうか。死後のことでしょうか。お聞かせ頂きたく思います。どうぞよろしくお願い致します。

「生るべからざるものを、生れさせたればこそ」の「生まれる」の意味が分かられないというご質問ですが、このご質問を読ませて頂いて、貴社の間違いの原因が判明した気が致します。

貴社の一番の問題は、浄土真宗で「生まれる」といっても二通りの意味があることを理解しておらず、混同しておられることです。ここで「生」と「往生」は、ほぼ同じ意味と受け取って頂いて結構です。

一つ目の「生」は、ビデオの内容で言えば「不体失往生」であり、生きている時に「信楽をえる」ことを「生」と言います。十八願では、「至心信楽欲生我国」に当たります。

二つ目の「生」は、死んで真実報土に生まれることを言います。十八願では、「若不生者」に当たります。
同じ「生」の字を使っていても、意味は全く違います。

お尋ねの「生れさせたればこそ」の「生」は、「信楽をえる」ことであり、「不体失往生」のことですから、「若不生者」の「生」とは異なります。

貴社では、これを「若不生者」の「生」と混同してしまわれたのではないでしょうか?

「生まれる」の二通りの意味を知らねば、「若不生者」の「生」なのか、「不体失往生」の「生」なのか、間違えてしまいます。

おそらく、「生まれる」という言葉にとらわれて、「生」と書いてあるものは、すべて「若不生者」の「生」と同じなのだと勘違いしてしまわれたのでしょう。それで、「若不生者」を、「不体失往生」の根拠として挙げてしまうという間違いを犯してしまわれたのだと拝察致します。

これで、ご理解いただけましたでしょうか?

田中一憲