㈱チューリップ企画の販売するアニメビデオ『世界の光・親鸞聖人』について、㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦の記録を公開しています。

2007 12/6(木) 07:52 ㈱チューリップ企画より田中氏へ

田中様

お返事を頂き、有難うございました。

浄土真宗で、「生まれる」といっても二通りの意味のあることも、その二つを混同もしていませんのでご安心下さい。

この度、「信楽をえた」ことを「生」と言うが、「若不生者」の「生」とは同じ「生」の字を使っていても意味は全く違う、と言われていますが、大変に間違いやすいのではないでしょうか。

大いに異なるのは、「生きている時」と「死んでから」、「現生不退」と「報土往生」の違いは、誰でも分かりますが、「信楽をえた」「生」を獲なければ、「若不生者」の「生」を得ることは絶対できないのですから、意味は違いますが、「信楽をえた」「生」と、「若不生者」の「生」との関係は密接不離であり、「全く違う」というものではないからであります。

一体、田中様の言われる「若不生者」(死んで真実報土に生まれる)の意味では、「若不生者」の誓い〝真実だった〟と、「若不生者」の誓いに、ツユチリほどの疑心もなくなるのは、何時のことでしょうか。
「生きている今」なのか、それとも「死んで真実報土に生まれて」からのことでしょうか。お聞きしたいと思います。

最後に、「私の再三の問いかけに、無視するな」と言われていますが、どんな問いかけでしょうか。
「若不生者」の「生」は、死んで極楽に「生まれる」ことである。これに異論はあるのか、ないのか、という問いかけのことでしょうか。それなら、「死んで極楽に生まれることのみである」ということには異論がある、とご返事してあります。

当方の文を良くお読みくだされれば、ご理解頂けると思います。どうぞ宜しくお願い致します。

(株)チューリップ企画 サービス課 山田