㈱チューリップ企画の販売するアニメビデオ『世界の光・親鸞聖人』について、㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦の記録を公開しています。

2007 12/13(木) 00:13 田中氏より㈱チューリップ企画へ

(株)チューリップ企画 サービス課 山田様

> 親鸞聖人の教えには、肉体の往生の前に、心の往生があると説かれています。田中様もご承知の「信楽をえる」「不体失往生」です。

この点については、ようやく理解して頂けたようですね。「心の臨終」=「信楽をえる」=「不体失往生」ですから、「心の臨終」と「若不生者」は全く違います。

>「若不生者」の誓いなくして「信楽をえる」ことは、絶対できないと教えられたのが親鸞聖人ですから、「不体失往生」に「若不生者」の「生」がなければならないのは当然でしょう。

これは正反対です。「信楽をえる」ことなくして、死んで「若不生者」と極楽に生まれることは、絶対にできないと教えられたのが親鸞聖人ですから、「若不生者」の前に、「不体失往生」が無ければならないのです。貴社は、原因と結果が正反対となっているので、理解を間違ってしまわれたのだと思います。

> そこで、先にお聞きした、「若不生者」の誓いに、何時、田中様はツユチリほどの疑いもなくなられるのですか。
>「生きている時」ですか、「死んでから」ですか、重ねてお尋ね致します。

「若不生者」と、極楽に生まれられると、疑い晴れるのは、「生きている時」です。これは、まだ極楽には生まれていませんが、未来、極楽に生まれられることに疑いが晴れるのです。だから「若不生者」の「生」は、死んで極楽に生まれるということです。

それ以外の解釈があるのであれば、根拠を挙げてお示しください。

田中一憲