2007 12/19(水) 13:36 ㈱チューリップ企画より田中氏へ
田中様
「本願文の一部を疑い、残りは信ずる、ということは絶対にありません」
田中様の仰る通りです。絶対にあり得ないことです。これによって、田中様は本願文の総てに疑心があると言われていることが、明らかに分かりました。
田中様はこの度、『「本願文」も「改邪鈔の言葉」も分からないからこそ、親鸞聖人のお言葉に従わねばならない』と、誠に殊勝極まることを仰っていると読ませて頂きました。
ご自身は本願を疑っていながら、親鸞聖人のお言葉を主張されている、ということもハッキリ致しました。
それでは、本願に疑いのある田中様にお聞きするのは、まだ子供を産んだことのない女性に、陣痛の苦しみや出産の喜びを尋ねるようで、ちょっとお気の毒な気もするのですが、先便でお聞きした『改邪鈔』の「生まるべからざるもの」とは「何を」言われたのでしょうか。「生るべからざるもの」の正体はなんでしょうか。
また、その後の、「生まれさせた」と言われているのは、何を、どのように「生まれさせた」と言うことでしょうか。お尋ね致します。
もし、田中様が、そんな生きている時のことではない、そんなこととは無関係だよ、と仰るのなら、「若不生者」は、そんなことではない、そんなこととは無関係だ、と言われている親鸞聖人でも覚如上人でも結構です、そのお言葉をお聞かせ下さい。
『「信楽をえて」いる方が、「若不生者」は「死んで極楽に生まれると言うことだけでしょうか」などと、聞いてこられるはずがないと思います』と、田中様は仰っていますが、生きている時に、「若不生者」のちかいによって「信楽まことにときいたった」人は、そのように尋ねるのは当然だと思いますよ。
聖人が「若不生者」の「生」を「死んで極楽に生まれる」という以外の意味に仰っているか、否かは、いま問われていることです。田中様の、これについての意見は充分に受け賜って存知していますのでご心配なさらないで下さい。
最後に、当方が「信楽をえた」か、どうか、まだ答えていない、とは、全く驚きです。
それでは、再度、誰にでも分かるように答えておきましょう。
「若不生者」は「死んで極楽に生まれると言うことだけか」と田中様に尋ねているのは、この山田ですよ。
「信楽をえて」いないものが、山田のようなことを聞けるはずもないし、聞く筈がないじゃないか、とお答えしたのです。
これでも答えていないと仰るなら、何度でもお答え致します。良く読まれて文章の理解力を取り戻して下さい。
(株)チューリップ企画 サービス課 山田

