㈱チューリップ企画の販売するアニメビデオ『世界の光・親鸞聖人』について、㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦の記録を公開しています。

2007 12/21(金) 13:38 ㈱チューリップ企画より田中氏へ

田中様

「信楽をえていない」と言っている方が、「山田、お前はまだ、疑いが晴れていない信心だ」と仰る。自ら「本願を疑っている身」と言いながら、内心は「信楽をえた」つもりでしょうが、それにしても他人に対して、今どうしてそんなことが言えるですか。ぜひ、その心境をお聞きしたいと思います。

本願を説かれた親鸞聖人のお言葉は信ずるが、本願には疑いがある、と言われる田中様のご批判は、何でも結構ですが、その理由がお聞きしたいものです。「死んでもいないのに、どうして今、そんなにハッキリ後生未来のことが分かるのか」と、尋ねたからですか。それなら余りにも幼稚な批判です。

「生まるべからざる、無善造悪の凡夫」とは、如何なる者か。「摂取不捨したもう」たら「無善造悪の凡夫」の、どこが、どう変わるのか、変わらないのか、の問いに窮されると、忽ち、山田を「信楽をえた」者にして、お前解説せよと、ご自身はなんの説明もなさらず、お逃げになる。

次も、親鸞聖人は、わざわざ「極楽に生まれるだけ」と、念を押す必要がなかったからだと、お逃げなさる。なぜ逃げるのか。
前回、田中様が提示された親鸞聖人のお言葉は、「若不生者は、死後のみのことである」という御文になっていません。

それよりも、「若不生者」のちかい、がなければ「信楽」は「生まれず」、「信楽」が「生まれる」のは「若不生者」の誓によるのだと言う、「信楽」と「若不生者」の関係を教えられているお言葉です。よくお読み下さい。

「貴社のメールどこを読んでも、若不生者は死んで極楽に生まれることだけではないという、親鸞聖人のお言葉がない」と言われていますが、それが、「本願を疑っていられる方には届かない」と申しあげた意味なのです。本願に疑心晴れた時にハッキリ知らされることでしょう。

(株)チューリップ企画  サービス課  山田