㈱チューリップ企画の販売するアニメビデオ『世界の光・親鸞聖人』について、㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦の記録を公開しています。

2007 12/22(土) 12:50 田中氏より㈱チューリップ企画へ

(株)チューリップ企画  サービス課  山田様

> 次にこの度、「生きている時」に「死んで極楽に生まれられる」という未来のことに疑いが晴れるのです、とおっしゃっていますが、まだ死んでもいないのに今、そんなにハッキリと後生未来のことが分かるのでしょうか。

このように御自身の信心を告白しておられながら、今さら何を必死に言い訳しておられるのですか?

>「生まるべからざる、無善造悪の凡夫」とは、如何なる者か。「摂取不捨したもう」たら「無善造悪の凡夫」の、どこが、どう変わるのか、変わらないのか、の問いに窮されると、忽ち、山田を「信楽をえた」者にして、お前解説せよと、ご自身はなんの説明もなさらず、お逃げになる。

>次も、親鸞聖人は、わざわざ「極楽に生まれるだけ」と、念を押す必要がなかったからだと、お逃げなさる。なぜ逃げるのか。

山田様こそ、「信楽をえた」と自称されるなら、逃げずに御説明になったら如何でしょうか?
山田様は、根拠を挙げずに、逃げてばかりおられるように思います。

>前回、田中様が提示された親鸞聖人のお言葉は、「若不生者は、死後のみのことである」という御文になっていません。
>それよりも、「若不生者」のちかい、がなければ「信楽」は「生まれず」、「信楽」が「生まれる」のは「若不生者」の誓によるのだと言う、「信楽」と「若不生者」の関係を教えられているお言葉です。よくお読み下さい。

『この真実信心をえんとき、摂取不捨の心光にいりぬれば、正定聚のくらいにさだまるとみえたり。「若不生者不取正覚」というは、若不生者は、もしうまれずは、というみことなり。不取正覚は、仏にならじとちかいたまえるみのりなり。このこころはすなわち、至心信楽をえたるひと、わが浄土にもしうまれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり。』

この記述を、どのように解釈したら、山田様のような理解になるのでしょうか?
「信楽」が「生まれる」のは、「若不生者の誓」の「至心信楽欲生我国」の部分に当たります。「若不生者不取正覚」に当たるのは、「浄土に生まれる」です。

「信楽」に「生まれる」ことと、「浄土に生まれる」ことは、違います。何度も説明している通りです。古文法も余り知られないようですし、ご自身も「教えに昏いところがある」と書かれているので、仕方ないことかも知れませんが。

>「貴社のメールどこを読んでも、若不生者は死んで極楽に生まれることだけではないという、親鸞聖人のお言葉がない」と言われていますが、それが、「本願を疑っていられる方には届かない」と申しあげた意味なのです。本願に疑心晴れた時にハッキリ知らされることでしょう。

その親鸞聖人の御言葉だけを示して頂きたい、と何度もお願いしていますが、結局、一言も出てきませんでした。

「本願を疑っていられる方には届かない」というのは、メールが届かないという意味ですか?
確かに、届いておりません。

親鸞聖人と銘打って、ビデオを販売しておりながら、親鸞聖人が仰っていないことを描き、その部分を指摘されると、根拠も挙げずに、「本願に疑心が晴れないと分からない」などと、無責任な発言をされています。

貴社のビデオを素晴らしいと思っていましたが、貴社の対応には、大変失望いたしました。親鸞聖人の教えを学んでおられながら、相手を小馬鹿にするような態度を取られることも、非常に残念なことです。

願わくは、初心に返られて、一から親鸞聖人の御教えを学ばれますよう。

田中一憲