2007 12/26(水) 23:21 田中氏より㈱チューリップ企画へ
(株)チューリップ企画 サービス課 山田様
>「死んだら極楽に生まれさせると誓われているが、本当だろうか」などと、本願を疑っている心、すべてを「自力の心」と言うのです。
こんな説明で「雑行雑修自力の心」という深遠なお言葉が、誰にでも分かると思っておられるのですね。貴方の理解の程度が、よく分かりました。
>次にこの度、「生きている時」に「死んで極楽に生まれられる」という未来のことに疑いが晴れるのです、とおっしゃっていますが、まだ死んでもいないのに今、そんなにハッキリと後生未来のことが分かるのでしょうか。
つまり、上記のような疑問を起こされている山田様の心を、自力の心と言うのですね。
>『「若不生者」の「生」は、「死んで極楽に生まれる」ことだけだと思っている心』も、みな「自力の心」というのですよ。分からなければ最も大事なことですから何度でも答えましょう。
このようなことを親鸞聖人が、どこに教えられているでしょうか?
根拠を示してください。
>その「信楽」がえられるのは、どうしてえられるのですか。「若不生者の念力」によるのではありませんか、と山田は言っているのです。「そうでない」、と言われるのならば、どうして「信楽」をえられるのか。その根拠を、親鸞聖人のお言葉で示して下さい。
何度も示しましたように、『この「至心信楽」は、すなはち十方の衆生をして、わが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまへる御ちかひの至心信楽なり、凡夫自力のこころにはあらず。』と記述されています。十八願の「至心信楽」の誓いによって、信楽がえらえるのです。
そして、『「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。』と、十八願の「若不生者」の誓いによって、極楽浄土に生まれられるのです。
>> 再三再四、「若不生者」の「生」を「極楽浄土に生まれる」以外に解釈された根拠をお尋ねしているのに、無視ではないということは、「根拠が無いので答えられない」ということですね?
>>
>> 根拠のない貴社の自説であることが分かり、安心しました。
上記の記述に対しても、何の反論もありませんでした。これが、「極楽浄土に生まれる」以外の解釈が存在しない、何よりの証拠ではありませんか。
親鸞聖人と異なる、貴社独自の解釈と認められたものと判断いたします。
田中一憲

