2008 1/17(木) 23:29 田中氏より㈱チューリップ企画へ
(株)チューリップ企画 サービス課 山田様
>「これだけメールのやり取りしているのに」と仰いますが、まだ序の口ですよ。
すでに数十通もやりとりしているのに、まだ序の口ですか。何百通、続くのでしょうか?
しかし、これで貴社の主張には、まったく根拠がないことが分かりました。私がお尋ねしているのは「若不生者」の「生」を「不体失往生(信楽)」と解釈できる根拠だけです。
つまり、一通のメールで終わる議論なのです。その一通のメールさえ送れないのが、根拠のない何よりの証拠です。
>貴方は、「雑行雑修自力の心」は深遠だから言えないと仰っていますが、誰にも分からないようなことを蓮如上人が、あんなに沢山『御文章』に書かれるでしょうか。
つい最近、「雑行雑修自力の心」は僧侶でも知らないから教えられない、と書かれたのは貴方ですよ。主張をコロコロ変えないでください。
>貴方はこの度、「弥陀の本願力」と「若不生者の念力」とは、異なるように言われていますが、どう違うのですか、教えて下さい。
「若不生者の念力」という言葉の根拠を尋ねましたが、お返事ありませんでしたので、貴方の作った言葉だと判断いたします。
自分で作った言葉について、相手に質問するのは筋違いというものではありませんか?
>「若不生者の念力」によってのみ「信楽」が「生まれ」、「信楽」が「生まれた人のみ」が「死んで極楽に生まれる」ことが出来る。これが親鸞聖人の教えではありませんか。
そんなことを、親鸞聖人が、どこに書かれていますか?
いつまでも貴社の独自の解釈を繰り返されるのは、子供じみていますよ。
「信楽をえた人を、必ず極楽浄土に生まれさせる」というのが「若不生者不取正覚」の心だと、親鸞聖人が何箇所も書かれています。
田中一憲

