㈱チューリップ企画の販売するアニメビデオ『世界の光・親鸞聖人』について、㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦の記録を公開しています。

2008 1/20(日) 22:05 田中氏より㈱チューリップ企画へ

(株)チューリップ企画 サービス課 山田様

>誤解を怖れず、分かり易い例えで言いましょうか。ある「高校」に合格すれば、必ず、好きな「大学」に入られるとハッキリしていれば、受験生は「高校」と「大学」、どちらに全力を尽くすでしょうか。
>「高校」の合格に全力尽くすままが、好きな「大学」へゆく尽力とも言えますが、その「高校」にさえ合格出来れば、必然的に好きな「大学」へ行けることがハッキリしているのですから、高校受験に全力を尽くすでしょう。

阿弥陀仏が、「必ず高校に合格させる」と誓われているなら、必然的に高校に合格できるのですから、高校受験に全力を尽くす必要はありませんね。

何のために勉強するのでしょうか?

>『「信楽」に生まれた人を、さらに「極楽に生まれさせる」と誓われているのが、「若不生者」なのです』。
>これは、平成19年12月27日の、貴方からのメールですが、「信楽」にさえ「生まれさせれば」、必然的に「極楽へ生まれさせられる」のに、なぜまた、さらに「極楽へ生まれさせる」のに、「若不生者」と正覚をかけて誓われなければならないのですか。それでは大前提が崩れます。

阿弥陀仏が「信楽に生まれた人を、極楽に生まれさせる」と誓われているから、「信楽にさえ生まれれば、必然的に極楽に生まれられる」のです。

「極楽に生まれさせる」のに「若不生者」と正覚をかけて誓われていなければ、「信楽に生まれた人」が「極楽に行けない」可能性が出てくるので、大前提が崩れます。

>例えで言えば、「高校」に合格しても、好きな「大学」に入れるか、否か、がハッキリせず、安心できないということになれば、ある高校に合格すれば、必ず好きな大学に入られるとハッキリする、という大前提が崩れましょう。

だから、阿弥陀仏が「高校に合格した者」を、「必ず好きな大学に入れる」と誓われているのです。

そうでなければ、好きな「大学」に入れるか、否か、がハッキリせず、安心できないことになります。

もし、阿弥陀仏が「高校に合格した者」を、「必ず好きな大学に入れる」と誓われていなければ、「ある高校に合格すれば、必ず好きな大学に入られるとハッキリする」という大前提が崩れます。

>貴方は、「弥陀の本願力」と「若不生者の念力」とは違う、と言われる。ネットで見ている人たちのためにも、どこがどう違うのか、ハッキリさせて下さい。みんな納得されるでしょう。

私が、「弥陀の本願力」と「若不生者の念力」とは違うと、いつ書きましたか?

貴方の作った言葉の意味など、私が知るはずもありません。

ですから、同じとも、違うとも書いた覚えはありませんが、何月何日のメールのことか、お示しください。

田中一憲