2008 1/25(金) 23:08 田中氏より㈱チューリップ企画へ
(株)チューリップ企画 サービス課 山田様
>逃げ口上に付き合っている時間はありません。逃げ口上か、否かの判断は大衆がするでしょう。
若不生者の「生」は「信楽」だという根拠を、いくら尋ねても、話題を逸らして答えない貴方の文章を、「逃げ口上」というのではないでしょうか?
もし「そうでは無い」と言われるのなら、以下の質問に「逃げずに」答えていただきたく思います、
(1)親鸞聖人が、「若不生者」の「生」は「信楽をえる」ことだと言われた文章を示してください。
(2)貴方は『「信楽」に生まれさせた人を、さらに「極楽に生まれさせる」と誓われているのが、「若不生者」だ』を「愚かな発言」と書かれましたが、以下の記述も、「愚かな発言」でしょうか?
『このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。』
『「若不生者不取正覚」といふは、ちかひを信じたる人、もし本願の実報土に生れずは、仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。』
『「来迎」というは、「来」は浄土へきたらしむという。これすなわち若不生者のちかいをあらわす御のりなり。穢土をすてて、真実報土へきたらしむとなり。』
(3)貴方の作った例え話の「高校受験に全力を尽くす」とは、何を例えたのでしょうか?
(4)『貴方は、「弥陀の本願力」と「若不生者の念力」とは違う、と言われる。』との内容がありましたが、私が、何月何日に、そのように書きましたでしょうか?
(5)『次にこの度、「生きている時」に「死んで極楽に生まれられる」という未来のことに疑いが晴れるのです、とおっしゃっていますが、まだ死んでもいないのに今、そんなにハッキリと後生未来のことが分かるのでしょうか。』と疑問になる他力信心があるのでしょうか?
上記は全て、貴方の文章についての質問ですから、貴方が責任もって、逃げずに答えていただきたく思います。
田中一憲

