2008 1/28(月) 17:36 ㈱チューリップ企画より田中氏へ
田中様
多忙を極めているのはお互いのこと、悲鳴をあげてはならない、ことです。いい加減に打ち切りたいのは良く分かるが、総ては貴方が申し出たこと。一実・円満の真教・真宗の親鸞聖人の教えを、ウヤムヤのままに済ますことは許されません。
祖師聖人が、かの俊才の善恵房に対してさえ、大諍論をされねばならなかったことである。先ず、問題の重大性、肝心性の認識と自覚を分かって貰わねばならない。そんな60通や100通のメールのやりとりで、親鸞聖人の真教が理解できると思っていられるのか、と言わざるを得ません。
特に貴方は、当社に対して、「親鸞聖人が仰っていないことを描き、ビデオを販売している」とまで放言している。この暴言は我々の決して忘れ得ぬ、許せる言葉ではありません。どちらが、正しい親鸞聖人の教えかハッキリするまでは、断じて貴方の打ち切り要望に応ずることはできない。当然でしょう。
弥陀の本願は信じられぬが、親鸞聖人のお言葉には従うと、おかしなことを言われる貴方だから提言しましょう。
「本願成就文」40字の教えの外に、親鸞聖人の教えはありませんが、その「願成就」の教えに貴方の言う、「若不生者」の「生」は、「死んで極楽に生まれることだけ」と教えられているところがありますか。あればお示し頂きたい。それこそ親鸞聖人のお言葉ですから。
親鸞聖人が生涯、このほか説かれなかった一実円満の真教「願成就文」には、「弥陀の本願」が詳説されていますが、「信心歓喜乃至一念」も、「願生彼国」も、「即得往生」も、「住不退転」も、みな不体失往生、現生不退、平生業成の「この世の救い」以外に説かれていません。
これが「弥陀の本願」の淵源であり、「若不生者のちかい」の真意であるからです。この「若不生者」の極意を開顕されたのが親鸞聖人の教えです。この「願成就文」の教えを知れば、「若不生者」の「生」は、「死んで極楽に生まれることだけ」と理解するのは親鸞聖人の教えでないことが分かって頂けると思います。
「本願成就文」に、「死んでからのこと」が説かれているところがあればお示し下さい。
「一念慶喜する」のは、「若不生者不取正覚」と誓われているからだ、という親鸞聖人の開説です。だからこの「生」は、「一念慶喜する身」に「生まれさせる」という意味です。
「文法を無視してではなく、文法の通用しないことだ」ということです。不可称、不可説の言葉にかからない境地の表現だから、間違った文法も、へちまも、あるはずないではないか、と言っているのです。
貴方は、文法の通用しないものを、文法の常識で読もうとしているから解釈を間違えてしまうのだと思います。
今度貴方は、『「若不生者の念力」という単語の意味を知らない』と仰った。そんな人が、どうして「若不生者」の意味を論ずることができるのか。逃げ口上はありありですが、前述のように、当社の製品を誹謗中傷なされているのだから、貴方には重い責任と義務があります。
どちらが、親鸞聖人の正しい教えなのか、ハッキリするまで答えて頂かねばなりません。辻斬り強盗のような真似だけは避けて頂きたい。
(株)チューリップ企画 サービス課 山田

