㈱チューリップ企画の販売するアニメビデオ『世界の光・親鸞聖人』について、㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦の記録を公開しています。

2008 2/9(土) 15:32 ㈱チューリップ企画より田中氏へ

田中様

『「必ず極楽浄土に往生させる(若不生者不取正覚)」という力』とは言ったが、『若不生者不取正覚という力』とは言っていない、と言って憚らぬ貴方です。だだっ子さんのような方には手間がかかりますが、原文を挙げておきましょう。

『「名号」は「阿弥陀仏の本願」によって成就されたものですから、「必ず極楽浄土に往生させる(若不生者不取正覚)」という力が納まっています』(これが貴方のメールです)

これは、『「名号」には、「必ず極楽浄土に往生させる(若不生者不取正覚)」という力が納まっている』ということではないのですか。

「親鸞聖人のお言葉に従う」と「親鸞聖人の教えに信順する」と同じかとのこと、是非そうあって貰いたいものです。違うという貴方の説を聞きましょう。

「本願力」と「若不生者の念力」は、「同じ」とも「違う」とも言えない理由は、『「若不生者の念力」という言葉が造語なのですから』と、またまた回答を拒否。丁度、牙城を死守する城主のようですね。

「本願文」のどこに、ハッキリ「信楽」に「生まれさせる」のは、「若不生者不取正覚」という力だと誓われているか、と仰る悲しい貴方。我々が不体失往生できるのも、現生に不退転の身になれるのも、平生に業事成弁できるのも、みな本願力によってであり、若不生者という力であり、不可思議の願力ではありませんか。

覚如上人は『改邪抄』に「生まるべからざるものを、生まれさせた」のは、本願の不思議である、と言われ、「若不生者の誓」を「超世の悲願」とも「横超の直道」とも言われるのだ、と仰っているでしょう。

その、「若不生者不取正覚」という力によって「生まれさせられた」慶喜を親鸞聖人は、「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法」と仰っているのではないですか。死んで極楽に生まれてから仰ったことではないでしょう。

今、「不可思議の若不生者の願力」に遇わずして、どうして「誠なるかなや、弥陀の本願」の一念慶喜があるのですか。「若不生者の願力不思議」が今働かねば、親鸞聖人の不体失往生も、現生不退も、平生業成もあり得ないのです。

もし「若不生者」の「生」が「死んで極楽に生まれる」ことだけのことならば、「正定聚の身」になるのは「若不生者の不可思議の願力」ではないのか。また『愚禿鈔』の「前念命終」させられるのも、「若不生者の不可思議の願力」ではないのか。「後念即生」させられるのも、「即得往生」させられるのも、「不退転に住する」のも、「若不生者の不可思議の願力」ではないのか。
やはり、「死んで極楽に生まれる」ことだけの「若不生者のちかい」なのですか。

貴方の説は善慧房の教えであっても、親鸞聖人の教えにならないのです。

この度、『「信楽」に「生まれさせる」のは「名号」だと思います』と何時、私が言ったかと仰った。
では、『「信楽」に「生まれさせる」のは「名号」だと思います』は、間違いだと言われるのですね。また『相手の主張を捏造して、議論を進める』と言われても心外ですから確認しておきます。

(株)チューリップ企画 サービス課 山田