2008 2/16(土) 14:52 ㈱チューリップ企画より田中氏へ
田中様
貴方のメール、
『「名号」は「阿弥陀仏の本願」によって成就されたものですから、「必ず極楽浄土に往生させる(若不生者不取正覚)」という力が納まっています』
を提示して、
これは、『「名号」には、必ず極楽浄土に往生させる(若不生者不取正覚)という力が納まっている』ということではないのですかと、尋ねたのです。
それに対して、貴方の返信は、
『他人の言葉を改変し、「若不生者不取正覚という力」という単語を作り、それを根拠に非難されても困る』でした。
「括弧を外した」「私の言葉のメインを削った」などと仰るが、貴方の「言葉のメインとは何ですか」「意味がどう変わったのですか」
親鸞聖人の正しい教えを明らかにしたいの積極姿勢が少しも見られないのが残念。
「親鸞聖人のお言葉に従う」と「親鸞聖人の教えに信順する」こととは、違うと貴方が思っているのなら、同じだと言える貴方になって欲しいと願ってのことです。
「本願力」と「若不生者の念力」は、「同じ」とも「違う」とも言えないのは、『「若不生者の念力」という言葉が造語だから』と仰る。
それどころか説明ならぬ謝罪を求める始末。
「従来なかった表現もあって然るべきと思うが、飽くまで意味が変わらない範囲に留めねばならぬ」(平成19年10月20日、貴方のメールです)
チャンとした良識も余裕も持っていられたのに、あの良識と余裕は今いずこ?
などと思わせないで下さい。
親鸞聖人が何処に、「不体失往生」「現生不退」「平生業成」ができるのは、「若不生者という力」であると記述されているか。これ一つが問題になっているのに、山田は未だに一つも根拠を示せないでいると、またまた公言なさった。
「若不生者」の根拠にならぬ根拠を繰り返し出しながら、オレは出したが、お前は出せぬと、鬼の首でも取ったように何度、広言されたことか。そんなに広言したいのならば、親鸞聖人の主著『教行信証』や『愚禿鈔』でもいい、二、三挙げてみられたらいかがですか。弥陀の本願しか開顕されなかった親鸞聖人です。主著に「若不生者不取正覚」の真意が数多く説かれているはず。貴方の説の正当性を証せますよ。出せますか。
お前は出さぬと仰るが、今までどれだけ『教行信証』や『和讃』『愚禿鈔』など、明示してきたことか。「前念命終」「後念即生」「即得往生」「住不退転」が「若不生者不取正覚という力」でないとすれば、「前念命終」「後念即生」「即得往生」「住不退転」になれるのは、なんの力ですか。
「前念命終後念即生」の「生」は、「若不生者」の「生」ではないと言われている根拠を親鸞聖人のお言葉で示して下さい。
蓮如上人が「不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたまう」と言われている「不可思議の願力」とは、「若不生者不取正覚という力」のことではないか。その「若不生者不取正覚という力」によって、我々に「往生は治定」の「信楽」が「生まれる」のではありませんか。
弥陀の本願を疑っている貴方には、これらの聖語が単なる言葉遊びの道具にしか思えないだけのことです。
親鸞聖人の主著『教行信証』や『愚禿鈔』などに一切記述されていないことを根拠に、「本願文」の肝心である「若不生者不取正覚」の真意も、「一実・円満の真教、真宗これなり」と言われている『本願成就文』の教えも踏みにじる、貴方のような主張を「善恵房の教え」と言うのです。
貴方が、『「信楽」に「生まれさせる」のは「名号」だと思います』などと、書いたことも言ったこともない、と言う確認ができればそれでよいのです。そんなにムキになる必要はありません。
(株)チューリップ企画 サービス課 山田

