2008 2/27(水) 14:42 ㈱チューリップ企画より田中氏へ
田中様
非常に重要なお仕事中、ご返信大変だったことでしょう。お察し申します。決し
て無理は申しませんので、体調を崩されないよう努めて下さい。
さて、こちらは始めから明らかなことでしたが、これで貴方が望まれているように、双方の対立点が明確になりましょうから、どちらが親鸞聖人の正しい教えなのか、真実開顕にお互い尽力いたしましょう。
確認(1)の(B)の、設問の不適当なところを補足修正し、以下のように是認します。
「弥陀の若不生者不取正覚」の「生」は、「信楽」に「生まれさせ」「極楽浄土」に「生まれさせる」というのが、親鸞聖人の教えです。
確認(2)の(B)を、補足修正すれば、
『「若不生者不取正覚」の「生」は、「信楽をえる」という意味だ』という言葉は、貴方の言い方だから、勿論、同じ言葉が親鸞聖人にあるはずがありませんが、親鸞聖人の教えの総ては前述の、(1)の(B)で言ったことの開顕であり、「若不生者不取正覚」を「死んで極楽に生まれるだけのこと」とする、誤りを正され弥陀の願意を明らかにせられたお言葉ばかりだからです。
確認(3)の、返答。
(1)の(B)、(2)の(B)で答えた通り、その外に親鸞聖人の教えはないからです。
最後に、貴方の三つの断言を記録しておきます。後日、なにかと便利かもしれませんから。
(1)信楽をえた人が「極楽浄土」に「生まれる」という意味であって、「信楽をえる」という意味ではない。
(2)「若不生者不取正覚」の「生」は、「信楽をえる」という意味だと明言された親鸞聖人のお言葉は存在しない。
(3)「若不生者不取正覚」の「生」は、「信楽をえる」という意味と解釈された根拠はない。
(株)チューリップ企画 サービス課 山田

