2008 3/8(土) 22:28 田中氏より㈱チューリップ企画へ
(株)チューリップ企画 サービス課 山田様
繰り返し申し上げていることですが、貴方は本当に、まともな議論をする気があるのでしょうか?
>その「信楽」は「どうして生まれるのか」「なんの力で生まれるのか」「いつ生まれるのか」、それに就いて「本願文での根拠」はどこか、「願成就文での御文」は何か、答えて頂きたいと思います。
これが貴方からの質問です。これに対して私は、以下のように返答しました。
>「信楽」は「どうして生まれるのか」、「なんの力で生まれるのか」、「いつ生まれるのか」ということは、本願文には明示されておりません。
>
> だからこそ、釈迦が本願成就文で説明されたのです。
>
>「どうして生まれるのか」 →「聞其名号」
この文章を読んで、おそらく貴方は自分の間違いに気付かれたのでしょう。しかし、私が貴方に教えた内容を、今回のメールで、さも最初から知っていたかのような書き方をされています。
貴方は、「本願文での根拠」を、どこにも明示されていません。
さらに、私が使ってもいない「若不生者不取正覚という力」という言葉を、私が使ったかのように書かれています。
>当方が、最初から主張していますように、我々に「信楽が生まれる」のは「本願文」で言えば「若不生者不取正覚」の念力、貴方の言葉で言えば「若不生者不取正覚という力」であり、「本願成就文」の御文で示せば「名号」だと、親鸞聖人の教えは明らかです。
私が使ったのは、『「必ず極楽浄土に往生させる(若不生者不取正覚)」という力』という言葉であり、貴方が「若不生者不取正覚という力」と書き換えたことには抗議いたしました。
にも関わらず、このように書いてこられますし、しかも、私が使ったのとは全く違った意味に、貴方は使っています。このように、相手の主張を摩り替えるやり方にも、何回も抗議してきたと思いますが、改善するお気持ちはないのでしょうか?
>最後に、貴方の三つの断言を記録しておきます。後日、なにかと便利かもしれませんから。
>(1)信楽をえた人が「極楽浄土」に「生まれる」という意味であって、「信楽をえる」という意味ではない。
『「若不生者不取正覚」の「生」の意味は、』という主語を、何のために削除されたのでしょうか。この部分があると、何か都合が悪いのでしょうか?
2月21日の貴方のメールも
>「信楽をえた人は、必ず極楽に生まれられる」。
>メールの交換、数十回、貴方の挙げられたのは「この根拠」だけでした。
このように書かれてありましたが、私が挙げたのは、「若不生者不取正覚」の「生」は、「信楽をえた人は、必ず極楽に生まれられる」という意味だという根拠です。
「若不生者不取正覚」の「生」は、という部分が一番大事なのであって、そこを削って、私の主張を歪曲しないで頂きたいと思います。
ついでに、細かいことですが、
>(3)「若不生者不取正覚」の「生」は、「信楽をえる」という意味と解釈された根拠はない。
原文だと、『貴方が、「若不生者不取正覚」の「生」は、「信楽をえる」という意味だと解釈された根拠はない。』のはずです。「貴方が」という主語を、わざわざ削除されたのは何故でしょう。主語がなければ、当然、意味が変わってきます。
私の質問にも、答えているようで、肝心なことには、お答え頂いていないように思います。
>「弥陀の若不生者不取正覚」の「生」は、「信楽」に「生まれさせ」「極楽浄土」に「生まれさせる」というのが、親鸞聖人の教えです。
「若不生者不取正覚」の「生」に、「信楽」に「生まれさせる」という意味があるのですか?
「若不生者不取正覚」の「生」は、「極楽浄土」であって、「極楽浄土」に生まれさせるためには、信楽をえる必要があるから、結果的に、信楽にも生まれられると仰いたいのですか?
ここの部分をお尋ねしたかったのですが、肝心な所が分かりませんでした。
>『「若不生者不取正覚」の「生」は、「信楽をえる」という意味だ』という言葉は、貴方の言い方だから、勿論、同じ言葉が親鸞聖人にあるはずがありませんが、
これは、現代語だから、ということですか?
当然のことと思って書きませんでしたが、そういう意味の言葉ということです。
設問を訂正します。
確認(2)
『「若不生者不取正覚」の「生」は、「信楽をえる」という意味だ』という意味の内容を明言された親鸞聖人のお言葉は…
(A)存在しない。
(B)直接そのように仰った言葉はないが、親鸞聖人の教えを理解すれば、そのように解釈できる。
(C)存在する。
>確認(3)の、返答。
>(1)の(B)、(2)の(B)で答えた通り、その外に親鸞聖人の教えはないからです。
『貴方が、「若不生者不取正覚」の「生」は、「信楽をえる」という意味だと解釈された根拠は…』という質問に対して、「その外に親鸞聖人の教えはない」では返答になっていません。
もし、根拠があるならば、選択肢から答えられますし、「その他の理由」という選択肢さえ選べなかったのは、常識的に考えて、「根拠はありません」と返答されたと判断せざるを得ません。
双方が、相手の主張を正しく理解していなければ、そもそも議論は始まりません。
まずは、双方の主張と論拠、同意点と相違点を、整理して、明確にする必要があると思います。
主張の妥当性を議論するのは、その次の話です。
「重ねて真意が伝わるよう努める心得が大切なのではないでしょうか。特に仏法者には。」と仰る貴方だから、異論はないと思いますが、異論があれば仰ってください。
田中一憲

