㈱チューリップ企画の販売するアニメビデオ『世界の光・親鸞聖人』について、㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦の記録を公開しています。

2008 3/16(日) 22:38 田中氏より㈱チューリップ企画へ

(株)チューリップ企画 サービス課 山田様

今回も、私の問いかけに対しては、殆ど無視されました。私のメールを、本当に読まれているのか、甚だ疑問です。

>(1)
>「信楽」は「どうして生まれるのか」、「なんの力で生まれるのか」という当方>の質問に、
>貴方は、「本願文には明示されていない」と答えられています(2月2日のメール)。今回も、繰返されています。

>当方は初めから、「若不生者不取正覚」の念力で「信楽は生まれる」と主張してきたことは過去のメールで明らかです。それを貴方の文章を読んで気づいたかのように勘違いされていますが、全くの誤解です。

私の文章を読めば分かられると思いますが、「私が貴方に教えた内容」というのは、「信楽」は「どうして生まれるのか」に就いて「願成就文での御文」は何か、という貴方の質問に対して、「聞其名号」と答えたことです。

このことは、貴方が、それまで一度も書かれていない内容です。

「若不生者不取正覚」の念力で「信楽は生まれる」というようなことは、私は一度も申したことがございませんので、そもそも「私が貴方に教えた内容」のはずがありません。

私の文章を、しっかり読んでいれば、貴方のような返答にならないと思います。

>しかも貴方は、
>『「名号」は「阿弥陀仏の本願」によって成就されたものですから、
>「必ず極楽浄土に往生させる(若不生者不取正覚)」という力が納まっています』と明言されています(同じく2月2日のメール)。

>ところが今回「若不生者不取正覚という力」という言葉は使っていない、と言われるのは事実に反します。

私は2月15日に、「若不生者不取正覚という力」と書き換えることを、明確に否定しました(以下に引用)。にも関わらず、何度も「若不生者不取正覚という力」と、こだわるのは何故でしょう。私の文章を、読んでおられないのでしょうか?

今後、『「必ず極楽浄土に往生させる(若不生者不取正覚)」という力』と、正確に引用されることを要請します。

(2月15日メール)
>> 貴方は、その私の言葉のメインの部分を削り、括弧まで外して、「若不生者不取正覚という力」という単語を作り、「そんな言葉を、親鸞聖人がどこに仰っているか」と尋ねてこられました。
>>
「必ず極楽浄土に往生させる」というのは現代語ですから、そのまま聖教に無いのは当然ですし、その根拠として(若不生者不取正覚)と書いたことは、前回述べた通りです。
>>
>> 他人の言葉を改変し、その改変した言葉を根拠に非難されても困ると、申し上げているのです。

>本願を詳説された「本願成就文」には、死後のことは一切説かれていません。あったら教えて下さい。

「本願成就文」には、死後のことは一切説かれていないから、「若不生者」は生きている間だと言われたいのでしょうか?

だとすれば、「若不生者」の「生」には、死後のことは一切含まれないということになりますが、そういう主張ですか?

>当然ながら、「若不生者」は「死後、極楽に生まれさせる」だけという教えなど全くありません。これもあったらお示し下さい。

「若不生者」は「信楽に生まれさせる」という意味だと、どこにも説かれていないからです。あったらお示し下さい。

>何度も心を鎮めて、ご自分の書かれたものをよくよくお読みになれば、お分かりになるはずです。当方には、貴方の主張を故意に曲げて論じたことは一度たりともありません。

既に示した通り、今回の貴方のメールも、私の主張を歪曲したものでした。

>「若不生者不取正覚」の誓いが、死んでからだけのことではなく、この世で「信楽に生まれさせ」、死んで「極楽に生まれさせる」ことであることも、浄土和讃でお示ししました。

貴方の解釈は、文法的に誤っていることは、既に示した通りです。

>仏教の至極であり、弥陀の願意を釈尊が明らかにされた「本願成就文」には、弥陀の本願の「若不生者」の真意が、「即得往生住不退転」と明らかにされています。

「即得往生住不退転」は、不体失往生であり、「若不生者」は極楽往生ですから、この2つを同じだと考えるのは誤りです。

>この親鸞聖人の教えを知れば、「弥陀が命をかけられているのは、死後だけのこと」というような主張は、絶対に出てこないのです。重ねて申しますが、この世で「信楽に生まれ」なければ、死後、「極楽に生まれる」ことは絶対に不可能なのですから「信楽に生まれさせる」ことにこそ、弥陀の命がかかるのは当然のことでしょう。そうでなければ、弥陀は「若不生者の誓い」を果たせないからです。

弥陀の十八願の約束が果されるのは、「信楽をえた時」ですか?「極楽往生した時」ですか?
お答え頂きたく思います。

>お互い忙しい中、論じ合っているのは、阿弥陀仏の本願の「若不生者不取正覚」の「生」の仏意一つでしょう。

私がお尋ねしているのは、「若不生者不取正覚」の「生」に、不体失往生の意味もあることを仰った、親鸞聖人のお言葉が有るのか、無いのかです。

有るのか、無いのかだけで結構です。
他の内容は後回しにされても結構ですから、この点だけは明確に御返答ください。

明確なご返答がなければ、無いと返答されたものと判断いたします。

なお、重ねて申し上げますが、「その外に親鸞聖人の教えはない」では返答になっていません。このような返答を認めていては、「親鸞聖人は念仏無間と教えた方だ。根拠はその外に親鸞聖人の教えはないからだ」という滅茶苦茶な理論も通ってしまいます。

「若不生者不取正覚」の「生」に、不体失往生の意味もあることを明確に仰った、親鸞聖人のお言葉が有るのか、無いのかということです。

無ければ無いとして、なぜ、そのように解釈されたかは、改めてお尋ねしますので、ご心配なくお答え下さい。これは、貴方の主張を正しく知るための質問ですので。

田中一憲