㈱チューリップ企画の販売するアニメビデオ『世界の光・親鸞聖人』について、㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦の記録を公開しています。

2008 5/25(日) 22:09 田中氏より㈱チューリップ企画へ

(株)チューリップ企画  サービス課  山田様

>また、当方の「確認事項」に答えていただければ、何が枝葉末節か、否かも、明らかになりますし、『「若不生者不取正覚」の「生」に、不体失往生の意味もあることを仰った、親鸞聖人のお言葉が有るのか、無いのか』の答えも自ずと明らかになって参ります。

何を勘違いしておられるのでしょうか?
それとも、わざと無視されているのでしょうか?

私が最も問題にしているのは、議論のルールについてです。

「相手の質問を無視して良い」という貴方の主張を通されるようでは、議論自体が進まないと申し上げているのです。

私の質問に答えることが、そんなに都合の悪いことなのでしょうか?
ここまで返答を拒絶される理由が分かりません。

私は、きちんと返答しているのに、「確認」まで求められる。
貴方は、最初から返答さえしない。

不公平ではありませんか?

残念ですが、貴方には、まともな議論をする意思がないようです。

仕方がありませんから、そろそろ結論を出すことに致しましょう。

そもそも貴社の誤りは、不体失往生の根拠として、「若不生者不取正覚」の八字を使ったことでした。

親鸞聖人が不体失往生の根拠とされたのは本願成就文の「即得往生住不退転」の八字です。

ビデオの製作者は、本願成就文も、本願文も同じようなものだから、どちらでも良いだろうと思われたのかも知れません。

もし私が製作者だったら、迷わず「即得往生住不退転」を使ったでしょう。

親鸞聖人が、不体失往生の根拠として、「若不生者」ではなく、「即得往生」を使われた文章を紹介します。

「即得往生」は、信心をうればすなわち往生すという、「すなわち往生す」というは、不退転に住するをいう。「不退転に住す」というは、即ち正定聚の位に定まるなり、「成等正覚」ともいえり、これを「即得往生」というなり。→唯信抄文意

即得往生は、後念即生なり。即時に必定に入る。→愚禿抄

当然ながら、体失不体失往生の根拠とされる、口伝抄に描かれている法然上人のお言葉も「即得往生住不退転」の八字を出されており、「若不生者不取正覚」はどこにもありません。

親鸞聖人は「若不生者不取正覚」を当益として、「即得往生住不退転」を現益として解釈されています。

ですから、どちらでも良い、という訳にはいかないのです。

親鸞聖人が、不体失往生の根拠とされたのは、「即得往生住不退転」であって、「若不生者不取正覚」では無かったのです。

確認事項に答えるまでもなく、貴方の返答から、『「若不生者不取正覚」の「生」に、不体失往生の意味もあることを仰った、親鸞聖人のお言葉は無い』ということが、自ずと明らかになりました。

しかし、仮に、「若不生者不取正覚」に不体失往生の意味があると誤解していたとしても、親鸞聖人の説き方を理解されていれば、迷わず、「即得往生住不退転」の八字をビデオで描いていたでしょう。

親鸞聖人が不体失往生を論じられる時は、常に「即得往生住不退転」を根拠とされたのですから。

この場面で、「即得往生住不退転」ではなく、「若不生者不取正覚」を思いついたというのは、ビデオ製作者の勉強不足であって、貴方の責任では無かったのかも知れません。

貴方は、本願成就文の重要性は理解されているようですので、ビデオ製作者に伝えておいていただきたく思います。

>自身が書き記されたことです。そんなに「確認」に困惑する返答だったのでしょうか。

まったく困惑などしておりませんよ。貴方こそ、私の質問に、なぜ困惑されるのでしょうか?

私が書いたことだと認識されているなら、御自身で確認されたら良いでしょう。4月17日のメールの50行目から、明確に返答してあります。

>アニメの「浄土宗云々」につきましては、後日、改めてご挨拶する機会もあると思います

これについては、間違いを認めて下さったようですね。わざわざ御礼に来ていただくまでもありません。ビデオ製作者の勉強不足もあるようですので、貴方の責任ではないと思います。

田中一憲