2008 6/5(木) 15:04 ㈱チューリップ企画より田中氏へ
田中様
平成20年4月18日から、三回も「確認」した弊社の「確認事項」で貴方は、こう認められています。
『「本願成就文」を、「本願文」三十六文字の総てを解説されたものという考えには反対です』
『何文字目から何文字目というような、文字数で尋ねられても、私には分かりません。「本願成就文」は、「本願文」の何から何まで総てを解説したものだという貴方の考えには反対だという意味です』
ところが、平成19年12月18日の貴方のメールでは、
「本願を信ずる心は、阿弥陀仏より賜る心ですから、本願文の一部を疑い、残りを信じるということは無い」とも、貴方は仰っています。「本願文」を分断されますか。
また「確認事項」で、貴方は、
『本願成就文』の中に、『本願文』の「若不生者不取正覚」のことは説かれていない、と認められています。
ところが今回、
「親鸞聖人が不体失往生の根拠とされたのは『若不生者不取正覚』ではなく、『即得往生住不退転』であった」と、貴方は仰った。
では、「不体失往生」の根拠は「本願文」にはないのですか。親鸞聖人の教えは「本願文」に根拠はないのですか。
そしてまた、『何文字目から何文字目というような、文字数で尋ねられても、私には分かりません。「本願成就文」は、「本願文」の何から何まで総てを解説したものだという貴方の考えには反対だという意味です』
と言われる方が、今どうして、「親鸞聖人が不体失往生の根拠とされたのは『若不生者不取正覚』ではなく、『即得往生住不退転』であった」などと言えるのですか。
一体、『本願文』の「若不生者不取正覚」と、『本願成就文』の「即得往生住不退転」とは、どんな関係ですか、違った意味ですか。お尋ね致します。
「貴方の主張を全面的に支持」などとんでもない誤解。「結論が出たから終わりにさせて頂きたい」どころではありません。これからが「若不生者不取正覚」の仏意を開顕しなければならぬ本番です。忙しさは増すばかりでしょうが何かの縁、真実開顕にお互い努めましょう。
(株)チューリップ企画 サービス課 山田

