2008 6/28(土) 20:40 田中氏より㈱チューリップ企画へ
(株)チューリップ企画 サービス課 山田様
★ 貴方が「若不生者」の「生」を、「信楽に生まれる」と解釈されたことに、親鸞聖人の根拠が有るのか。無いのか。
これ1つを、繰り返し、繰り返し、質問してきました。今回、この質問に対して、ようやく以下の返答を頂きました。
>『信受本願 前念命終(即入正定聚之数)
>即得往生 後念即生(即時入必定、又名必定菩薩也)
この返答で、貴方の主張には、結局、根拠が無いことが、明白になりました。
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★「本願を信受する」とは、「本願に疑いが晴れる」ということです。
尊号真像銘文には、以下のように記述されています。
『信楽というは、如来の本願、真実にましますを、ふたごころなくふかく信じてうたがわざれば、信楽ともうすなり。この至心信楽は、すなわち十方の衆生をしてわが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまえる御ちかいの至心信楽なり。』
つまり、「本願を信受する」=「至心信楽をえる」ということです。
貴方の根拠は、「至心信楽をえる」と同時に「即得往生」するということが書かれているだけで、「若不生者」については触れられていません。
さらに、尊号真像銘文は、以下のように続きます。
『「若不生者 不取正覚」というは、若不生者は、もしうまれずは、というみことなり。不取正覚は、仏にならじとちかいたまえるみのりなり。このこころはすなわち、至心信楽をえたるひと、わが浄土にもしうまれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり。』
至心信楽をえた人、イコール「即得往生」した人が、死んで極楽浄土に生まれるのが、「若不生者」の「生」だと断定されています。
当然、「即得往生」=「若不生者」は成り立ちません。
貴方が主張するように、「即得往生」=「若不生者」であるならば、「若不生者」は「生きている間のみ」ということになり、上記の親鸞聖人の記述は間違いということになります。
つまり、貴方の提示された根拠では、「若不生者」の「生」を、「信楽に生まれる」と解釈することは出来ません。
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>「貴方の質問に答える」ために、重ねて以下「貴方の発言」を確認し、お尋ねしたいと思います。
該当の質問に答えなくても、私からの質問に答えることが出来ましたね。
何のための確認だったのでしょうか。
いずれにしましても、これで返答する必要が無くなりました。
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とりあえず、貴社がビデオを製作した際の、聖教の根拠については、明確な返答を頂きました。
一応、私の目的は達せられた訳です。ありがとうございました。
なぜ、最初の返信で、このように明示して頂けなかったのか疑問ですが、今更そのようなことを言っても仕方の無いことですから、問題にはしません。
貴社の提示された根拠について、私の意見は、上記のように述べましたので、あとは読まれた皆さんが判断されることでしょう。
ここまで読んで下さった読者の皆さんにも御礼申し上げます。
田中一憲

