2008 6/29(日) 21:42 ㈱チューリップ企画より田中氏へ
田中様
『「若不生者不取正覚」が不体失往生の根拠だと仰った、親鸞聖人の文章がありますか』
たび重ねての貴方の問いに、
『本願を信受するは、前念命終なり。即得往生は、後念即生なり』(愚禿抄)
の私の回答に、「結局、根拠が無いことが明白になった」と貴方は仰った。
理由は、
『「至心信楽をえる」と同時に「即得往生」するということが書かれているだけで、「若不生者」については触れられていません』と言うものでした。
『「至心信楽をえる」と同時に「即得往生」する』は自明のこと。今、問われているのは、そんなことではないのです。
『「前念命終」させ「後念即生」させる、「信楽をえさせ」「即得往生」「不体失往生させる」のは、何方の、どんなお力か」「若不生者不取正覚」との関係は、有るのか無いのか』が問われているのです。幕引きを急いで大切な問題をウヤムヤにしてはなりません。
貴方は、平成20年2月2日のメールで、『「信楽」は「どうして生まれるのか」、「なんの力で生まれるのか」、「本願文」には明示されておりません』
と言われています。
「本願文に明示されていない」と言うことは、弥陀が説かれていないと言うことですか。弥陀が説かれてないことを、釈迦は説かれたのですか。
「本願の疑い」を晴らす力は、なんですか。貴方は「本願」には無いと言われる。誓われていながら「誓っていること」を「果たす力が説かれていない」とすれば、そんな「本願」を、なぜ「無上殊勝の願」とか「攝取不捨の真言」とか「超世希有の正法」と言われるのでしょうか。
ヤレヤレ「これで貴方の質問に答える必要がなくなった」と仰っていますが、無責任な放言を撒き散らし「答えにならない」ことを言い放って、「私の目的は達せられたから、ありがとうございました」とはいきません。貴方の発言に就いてまだ正式な回答を頂いていません。以下、あらためてお尋ね致します。
★貴方は平成20年4月17日のメールで、
「本願成就文」を、「本願文」三十六文字の総てを解説されたものという考えには反対です。何文字目から何文字目というような、文字数で尋ねられても、私には分かりません。
★また、平成20年6月21日メールで、
「若不生者不取正覚」が不体失往生の根拠でないと仰った、親鸞聖人の文章があるのかどうか、私は分かりません。
★「若不生者不取正覚」と「即得往生住不退転」はイコールでないと仰った、親鸞聖人の根拠があるかどうかも、私は分かりません。
今、問われている核心は、みな「分かりません」でした。
それでは、これらのことが分からずして貴方は、6月4日に、
(1)『親鸞聖人が不体失往生の根拠とされたのは、「若不生者不取正覚」ではなく「即得往生住不退転」であった』と、どうして言えたのですか。無責任でありませんか。
(2)またそれは、親鸞聖人の教えを知らずしての、断言だったのですか。
(3)弊社のアニメの内容を「親鸞聖人の教えを曲げている」と非難されたのも、貴方の親鸞聖人の教えの無知からの、無責任放言だったということですか。
(4)『教行信証』には無いが(4月18日の貴方のメール)『口伝抄』にあると、提示された御文、何度読んでも貴方の主張は見あたりません。それでも有ると仰るなら、そのお言葉を示して下さい。
(5)4月25日のメールで貴方は、
『「本願成就文」は「本願文」の総てを解説したものではない』
と断言されています。
それでは、『本願文』の「若不生者不取正覚」は、『本願成就文』に説かれていないのですか。確認しておきます。
(6)平成20年6月5日のメールで貴方は、
「それは、本願成就文によらねば、不体失往生の教えを明らかにすることが出来ないからです」
と言われていますが、「不体失往生の教え」が「本願文」ではありませんか。「不体失往生の教え」を明らかにするということと、「本願」を明らかにすることとは違うのですか。
(7)平成19年12月2日のメールで貴方は、
『私が、いつ(「若不生者」の「生」を)、「死後、極楽へ生まれることだけ」と断定しましたでしょうか?』
と言われていますが、断定されたことはありませんか。
(8)平成20年6月10日のメールで貴方は、
『親鸞聖人が不体失往生の根拠とされたのは「若不生者不取正覚」ではなく、「即得往生住不退転」であった』
と言われています。
では、親鸞聖人の不体失往生の教えの根拠は、「本願文」には無いのですか。
明快な回答、お待ちしています。
(株)チューリップ企画 サービス課 山田

