【第6回】かくて判明した根本的相異点
その間、約十ヵ月、メール交換120通余、明らかになったことは種々あるが、田中氏とチューリップ企画の見解に根本的な相異点が判明したことが何よりの収穫であったと思われる。それは肝心の『弥陀の本願』と『成就文』についての見解が、全く異るところにあったのである。
チューリップ企画の『成就文』は、『本願文』のすべての解説である、という領解に対して、田中氏は全く異なっていた。
『成就文』は『本願文』の一部の解説であって、すべての解説ではないというのが田中氏の見解であった。
その田中氏の明らかな根拠メールを、もう一度挙げておこう。
◆平成20年3月24日のメール
本願文の「至心信楽欲生我国」の真意を、釈尊が開顕されたのが『本願成就文』ではありませんか。
◆平成20年4月2日のメール
もし貴方が、『本願成就文』を、『本願文』漢字三十六字の総てを解説されたものだと理解されているのであれば、その考え方には反対です。
◆平成20年4月17日のメール
(『本願成就文』は、「本願文」のどこまでの解説で、「本願文」のどの部分が解説に入らないのか)、何文字目から何文字目というような、文字数で尋ねられても、私には分かりません。
◆平成20年4月17日のメール
本願成就文は、信心をえるとは、どういうことかを解説された文章であって、本願文の何から何まで総てを解説したものだという貴方の考えには反対です。
◆平成20年5月25日のメール
親鸞聖人は「若不生者不取正覚」を当益として、「即得往生住不退転」を現益として解釈されています。
ですから、どちらでも良い、という訳にはいかないのです。親鸞聖人が、不体失往生の根拠とされたのは、「即得往生住不退転」であって、「若不生者不取正覚」では無かったのです。
◆平成20年6月4日のメール
私は、「親鸞聖人が不体失往生の根拠とされたのは『若不生者不取正覚』ではなく、『即得往生住不退転』であった」と結論づけました。
◆平成20年6月18日のメール
「即得往生住不退転」で不体失往生した人だけが、「若不生者不取正覚」と体失往生できますから、密接不離な関係がありますが、イコールではありません。
◆平成20年6月20日のメール
不体失往生の根拠は「即得往生住不退転」と答えるのが適当ですが、あえて「本願文」で挙げよと言われた場合、「至心信楽」以外の言葉は見当たりません。
◆平成20年年6月4日のメール
「本願成就文」は「本願文」三十六文字の総べてを解説されたものだという貴方の主張に基づけば、本願成就文にも死後のこと(当益)が説かれていなければなりません。
ところが、貴方は、本願成就文は「この世の救い」以外に説かれていないと断言されました。仰っていることが矛盾しています。
田中氏の主張は、一貫して『成就文』は『本願文』の一部「至心信楽欲生我国」の釈尊の解説であって、『本願文』すべての解説ではない、という理解であることが明白である。果たして、真実の親鸞聖人の教えはどうなのか、徹底検証しなければならない。

