【第7回】田中氏の「成就文」の領解
弥陀の『本願文』三十六文字すべてを、釈迦が解説したのが『成就文』というチューリップ企画の領解に対して、田中氏は次のように異議を唱える。
◆平成20年4月2日のメール
もし貴方が、『本願成就文』を、『本願文』漢字三十六字の総てを解説されたものだと理解されているのであれば、その考え方には反対です。
◆平成20年4月17日のメール
(『本願成就文』は、「本願文」のどこまでの解説で、「本願文」のどの部分が解説に入らないのか)、何文字目から何文字目というような、文字数で尋ねられても、私には分かりません。
『成就文』は『本願文』の一部の解説であって、すべての解説ではないと田中氏は言うのである。
では、どこまでが解説されていて、どこは解説されていないのか尋ねると「全く分かりません」と言われる。
『成就文』以外、親鸞聖人の教えはないのに、その『成就文』と『本願』の関係が分からないと仰る。これでは、聖人の教えをあれこれ言える立場ではなくなってしまう。『本願』と『成就文』との関係は、決して「分かりません」で済ませられる問題でないからである。
ところがまた、驚くべきことに田中氏は、「分かりません」と言いながら、一方では〝『成就文』は『本願文』すべての解説ではない〟とか、”「至心信楽欲生我国」の釈迦の解明である”ともいわれているのである。これは矛盾か否かは、今後の検証で鮮明になるだろう。
まず田中氏が『成就文』を、どのように理解されているのか、氏のメールで確認しておこう。
◆平成20年3月24日のメール
本願文の「至心信楽欲生我国」の真意を、釈尊が開顕されたのが『本願成就文』ではありませんか。
◆平成20年4月17日のメール
本願成就文は、信心をえるとは、どういうことかを解説された文章であって、本願文の何から何まで総てを解説したものだという貴方の考えには反対です。
『成就文』は、弥陀の本願三十六文字のうち「至心信楽欲生我国」の八文字を、釈尊が詳説されたものだとか、「信心をえるとは、どういうことか」を開顕されたものとか、田中氏の主張はあくまでも『成就文』は『本願文』の一部の解説であるいう言い分は一貫している。一体、田中氏は、『成就文』を知っていられるのだろうか、とさえ疑われる。
それで次に、『成就文』の教えとはいかなるものか挙げてみることにする。

