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徹底検証 親鸞聖人の教え

【第8回】『本願文』の「信楽」は、『成就文』の「信心歓喜」

親鸞聖人が「一実・円満の真教、真宗これなり」と喝破され、生涯、唯一つ教えていかれた『成就文』は、『大無量寿経下巻』の始めに説かれている。 以下、その原文(漢字40文字)である。

【諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念
至心廻向 願生彼国 即得往生 住不退転
唯除五逆 誹謗正法】

訓読すれば、こうなる。
「諸有の衆生、其の名号を聞きて信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に廻向せしめたまえり。彼の国に生れんと願ずれば、即ち往生を得、不退転に住す。
唯五逆と正法を誹謗せんとをば除かん」

弥陀の本願の願意を、釈迦が解説されたものである。
この『成就文』で釈迦は、弥陀が『本願文』で誓われている「信楽を獲る」に就いて、
「其の名号を聞きて信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に廻向せしめたまえり」
と詳説されている。

この解説によって釈迦は、三つのことを鮮明になされている。
(1)は、「信楽」(信心歓喜)を獲るのは、阿弥陀仏が完成された『名号』を聞いて(頂いて)、であるということ。
(2)には、その「信楽」(信心歓喜)は「一念」で“獲られる”ということ。
(3)には、「信楽を獲て信心歓喜」するのは、全く阿弥陀仏のお力であるということである。

先ず(1)の、「信楽」(信心歓喜)を獲るのは、阿弥陀仏が完成された『名号』を聞いて(頂いて)であることから詳説しよう。
なぜ「名号」を聞けば(頂けば)「信楽を獲て」信心歓喜の身になれるのかと言えば、阿弥陀仏がすべての人を「信楽」(信心歓喜)にすると誓われた、自らの約束を果たす為に万人を「信楽」(信心歓喜)にする働きのある、南無阿弥陀仏の「名号」を成就(完成)されているからである。

親鸞聖人はそれを、次のように説かれている。
「故に知んぬ。円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑を除き証を獲しむる真理なり」
(教行信証)
「無碍光如来の名号と
かの光明智相とは
無明長夜の闇を破し
衆生の志願をみてたまう」
(高僧和讃)

これは、阿弥陀仏の造られた南無阿弥陀仏の『名号』には、「無明長夜の闇を破する」働きと「衆生の志願を満足させる」お力があることを明らかにされたものである。

「無明長夜の闇」とは、親鸞聖人は多く「自力の心」と言われるもので、『一念多念証文』には「自力というは、我が身をたのみ、我が心をたのむ、我が力をはげみ、我がさまざまの善根をたのむ人(心)なり」といい、また「助正間雑し、定散心雑わる心」とも、蓮如上人はしばしば「雑行雑修自力の心」と仰っている心である。

「自力の心」と言われるこれこそが、曠劫より今日まで我々を迷わせ苦しめてきた、「弥陀の本願を疑う心」であり「後生暗い心」であり、曠劫流転させる親玉なのである。

それを承知の弥陀は、この流転の元凶である「無明長夜の闇」を破る『名号』を成就なされた。その『名号』によって「無明の闇の晴れた心」を『本願文』では「信」といい、『成就文』では「信心」と教えられているのである。

次に「衆生の志願をみてたまう」とは、南無阿弥陀仏の『名号』には「すべての人を絶対の幸福・無碍の一道に生かし、出世の本懐を遂げさせたい」という弥陀の志願(望み)を凡夫(人間)の身に実現させる力があるから、「我々を絶対の幸福にして下さるのである」と親鸞聖人は仰っているのである。正に弥陀の本願成就の証言なのだ。
この「衆生の志願を満足させる」ことを『本願文』では「楽」と言い、『成就文』では「歓喜」と表現されているのである。

以上、「其の名号を聞きて信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に廻向せしめたまえり」の『成就文』の解説は、『本願文』の「信楽を獲る」について、「信楽」を「信心歓喜」と換言し、全く『名号』の「破闇満願」のお力によって「信楽を獲る」ことを開顕されて、しかもその「信楽」は「一念」であることを明言されている釈迦のお言葉であることを明らかにした。

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