【第9回】名号のお働き
前回で『本願文』の「信楽を獲る」ことを『成就文』に釈迦は、「其の名号を聞きて信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に廻向せしめたまえり」と説き、「信楽」を「信心歓喜」と換言され、南無阿弥陀仏の『名号』のお力によって「信心歓喜」の身になることを開顕されていることを明らかにした。その「破闇満願」の力がある名号のお働きを蓮如上人は、平易にこう詳解される。
「南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり。(御文章)
「南無阿弥陀仏」といえば、わずか六字だから、そんなに凄い力があるとは誰も思えないだろう。だが、この六字の中には、私たちを最高無上の幸せにする絶大な働きがあるのだ。その広くて大きなことは、天の際限のないようなものである、と蓮如上人は教示されている。
無上甚深の功徳が収まっている名号だから、親鸞聖人は「功徳の大宝海」と絶讃され、「本願の名号は正定の業なり」と道破なされている。
「本願の名号」とは、本願に基づいて造られた名号ということである。阿弥陀仏が名号を造られた目的は、すべての人を「信楽」(破闇満願)にすると誓われた本願を果たす為だ。万人を信楽にせずばおかぬという本願を設計図として完成したのが名号であるから、「本願の名号」といわれている。
「正定の業」とは、「正定聚不退転にする働き」と言うことである。「正定聚不退転」とは、何か。さとりといっても五十二の位があり、最高のさとりを「仏」とか「無上覚」といわれる。正定聚不退転とは、五十一段目の、もう一段で「無上覚」の「仏覚」になれる位をいう。正定聚不退転の身になれば、永久に変わらない幸せな人になる。この正定聚不退転になった心を、『本願文』では「信楽」といわれ、『成就文』では「信心歓喜」と教えられているのである。
「本願の名号は正定の業なり」とは、弥陀の名号には、私たちを「正定聚不退転」(信楽)の身にする働きがある、との明言だ。
阿弥陀仏が、すべての人を「信楽」にすると誓われた本願を果たす為に造られたのが「名号」だから、「名号」には万人を「信楽」にする働きがあるのは、むしろ当然であろう。

