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徹底検証 親鸞聖人の教え

【第10回】名号を頂けばどうなるか

では、『名号』の働きによって「無明長夜の闇が晴れ、衆生の志願を満たされ」て、破闇満願の身になると私たちは、一体どう変わるのであろうか。まず、親鸞聖人の教えをお聞きしよう。

「難思の弘誓は、難度海を度する大船。無碍の光明は、無明の闇を破する慧日なり」
(教行信証)
阿弥陀仏の本願によって造られた「破闇満願」の働きのある『名号』は、苦しみ悩みの波の絶えない人生の難度海を、明るく楽しく渡す大きな船である。それは、弥陀の光明(お力)は我々の苦しみ悩みの元凶である「無明の闇」の心を破る智慧の太陽であるからだと仰って、こう記されている。

「噫、弘誓の強縁は多生にも値いがたく、真実の浄信は億劫にも獲がたし。遇、行信を獲ば遠く宿縁を慶べ。ー乃至ー 誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ」
(教行信証)

ああ親鸞はいま、多生にも遇えない弥陀の本願に遇うことができて、億劫にも獲難い真実の浄信を獲ることが出来た。どんなにこそ阿弥陀さまの、遠い過去からのお手回しがあったことやら。ただ感泣するばかりである。
誠であった、誠であった、「必ず、無明長夜の闇を破り衆生の志願を満たし、絶対の幸福に救う」という阿弥陀仏のお約束、ウソではなかった。この唯一無二の弥陀の本願、みなみな聞き開いてもらいたい。
まさに親鸞聖人、魂の絶叫である。

また、こうも言われている。
「大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静に、衆禍の波転ず」
(教行信証)
「罪障功徳の体となる
こおりとみずのごとくにて
こおりおおきにみずおおし
さわりおおきに徳おおし」

(高僧和讃)

「大悲の願船に乗じて」とは、名号を頂いて破闇満願し人界受生の本懐を果したことである。名号を頂けば暗く沈んでいた苦しみ悩みの人生が、明るい歓喜の人生に変わるから「光明の広海に浮びぬれば」と言われている。辛くとも、なぜ生きるのか。もっとも大事なことがわからず苦しんでいた暗い心が、「名号」を頂いて「破闇満願」と大安心・大満足の心になられた聖人の告白である。
『本願文』では「信楽」であり、『成就文』では「信心歓喜」のことである。

次の「至徳の風しずかに、衆禍の波、転ず」
とは、『名号』によって「無明長夜の闇が晴れ、衆生の志願を満たされる」と、喜びみなぎる明るい人生と変わり、変わらず押し寄せる千波万波の苦難の波も、みなみな懺悔と感謝の波と転化するから不思議だ。

その不思議さを、『高僧和讃』に聖人は、次のように教えられている。
「五濁悪世の衆生の
選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の
功徳は行者の身にみてり」

阿弥陀仏のお誓い通り、無明の闇が破れて広大難思の慶心の「信楽」の身になれば、煩悩具足の身は微塵も変わらないけれども、焼けもせず流されもせず、盗まれもしない無上の幸せが、いつも全身に溢れる不思議さを、「不可称・不可説・不可思議の功徳は行者の身にみてり」と言われているのである。
『本願文』では「信楽」と誓われ、『成就文』では「信心歓喜」と説かれている身になるとは、どんなことか、聖人の教えでその一端なりとも窺うことができよう。

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