【第20回】なぜ若不生者と誓われたのか
釈迦の『成就文』によって、弥陀の「若不生者」の「生」は「死んで極楽へ生まれる」ことではなく、「平生に信楽に生まれる」ことであることが明らかになった。
言い換えれば、弥陀が「若し、生まれずは私は正覚を取ら…
釈迦の『成就文』によって、弥陀の「若不生者」の「生」は「死んで極楽へ生まれる」ことではなく、「平生に信楽に生まれる」ことであることが明らかになった。
言い換えれば、弥陀が「若し、生まれずは私は正覚を取ら…
如何に我々が「信楽の身に生まれる」ことの難しいかを、先回、釈迦や親鸞聖人のお言葉で教えて頂いた。次に蓮如上人のご教導を聞いてみよう。
…
我々を、今までも、今も、今からも苦しめ続ける最も怖ろしい、親鸞聖人の「助・正間雑し、定・散心雑わる心」とは何か。また「疑情」と言われているものは如何なるものか。それが「信受本願」の一念に死ぬと言われてい…
『本願文』の「若不生者」の「生」が『成就文』の「即得往生」であり、親鸞聖人の「信受本願・前念命終、即得往生・後念即生」の現益であるとすれば、浄土真宗の教えは一益法門になるではないか、と田中氏は非難されて…
ここまでは、田中氏の提起された阿弥陀仏の『本願文』の「若不生者」の「生」に関する、親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人方のご教示の概略を述べてきた。
そこでこれからは、具体的に田中氏からのメールを提示して、これ…