【第25回】田中氏の『唯信鈔文意』の誤解
田中氏は、「若不生者」の「生」は「死んで極楽に生まれることだけ」という自説の根拠として、『唯信鈔文意』のご文も提示されている。
◆平成19年10月20日のメール
また、唯信鈔文意には、
『「来迎」というは、「来」は浄土へきたらしむという。これすなわち若不生者のちかいをあらわす御のりなり。穢土をすてて、真実報土へきたらしむとなり』
と記述されています。
これも同様に、親鸞聖人は、若不生者を真実報土に生まれることと解釈されています。
ここも、田中氏の『成就文』の無知から来る誤解である。
同じ『唯信鈔文意』に聖人は、『「真実信心をうれば実報土に生る」と教えたまえるを浄土真宗とすと知るべし』と説示され、「今、信楽に生まれている人だけが、死んで報土へ生まれられるというのが、浄土真宗の教えだ」と明言されている。
誰でも死ねば極楽に生まれるのではない。信楽に生まれた人だけが、報土往生できるのだから、弥陀が「若不生者」と命を懸けられたのは、信楽に生まれさせる「不体失往生」であることは当然だろう。
だから「若不生者のちかい」の真意を明かされた『成就文』には、死後のことは一切説かれず、「即得往生」と現在の往生だけが教えられているのだ。
田中氏が言われるように、「若不生者」は「死後、浄土に生まれることだけ」とは、『成就文』のどこにも説かれていない。
田中氏が提示した『唯信鈔文意』のご文も、「若不生者のちかい」によって信楽に生まれた人だけが、「穢土をすてて、真実報土へ」生まれられることを教示されたものである。
一実円満の真教『成就文』によらずして、聖人のお言葉を正しく読むことはできないことがわかる。
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