㈱チューリップ企画の販売するアニメビデオ『世界の光・親鸞聖人』について、㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦の記録を公開しています。
徹底検証 親鸞聖人の教え

【第28回】「若不生者」と「信楽」の関係

チューリップ企画が「若不生者」の「生」は「平生に信楽に生まれること」と主張するのに対し、田中氏は「死んで極楽に生まれることだけ」と主張される。
はたして「若不生者」と「信楽」は、全く関係ない、切り離せるものなのか。
田中氏自身は、こう言われている。

◆平成19年12月15日のメール
「若不生者」と極楽に生まれられるのは、「信楽をえた」人だけです。だから、不離の関係があるのです。
しかし、「極楽に生まれる」ことと「信楽をえた」ことは、全く違います。

死後、極楽に生まれられるのは、現在、信楽に生まれた人だけである。だから信楽に生まれることと「若不生者」との間には「不離の関係がある」と、田中氏も認められている。
それにも関わらず、「若不生者」から、密接不離な「信楽」を切り離して、「死んで極楽に生まれることだけ」と繰り返す自己矛盾が、議論を打ち切らせることになったのだろう。

田中氏はこのメールでも、極楽に生まれること(体失往生)と、信楽に生まれること(不体失往生)は、「全く違います」と忠告されているが、親鸞聖人が二つの往生を説かれたことは、当方も一貫して主張していることであり、田中氏が非難されるような混乱や誤解は全くない。
今、論じられているのは、弥陀が「若不生者」と命を懸けられたのは、極楽に生まれる「体失往生」か、この世で信楽に生まれる「不体失往生」か、の一点なのである。
この論点に集中して、田中氏の主張を引き続き検証しよう。

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