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徹底検証 親鸞聖人の教え

【第33回】弥陀の救いは一念で完成する

田中氏の、「若不生者の誓」すなわち「弥陀の本願」の誤解は、次のメールに端的に示されている。

◆平成19年12月27日のメール
「信楽」に生まれた人を、さらに「極楽に生まれさせる」と誓われているのが、「若不生者」なのです。

これが、なぜ氏の誤解を端的に示す文章と言えるのか。
「信楽に生まれた」ということの意味が全く分かっておられないことが、ここには如実に出ているからである。
それは、「さらに」の3文字にある。

「信楽に生まれた」ということは、往生一定の決定心になったことで、いつ死んでも極楽往生間違いなし、の大安心大満足の身になった、ということである。正定聚とは、そういうことである。
蓮如上人の有名な『聖人一流の章』には、「信楽に生まれた」ことを、こう書かれている。
「不可思議の願力として、仏の方より、往生は治定せしめたまう。その位を『一念発起・入正定之聚』とも釈し」
不可思議の願力(弥陀の本願力)によって、一念で往生が決定したことを、正定聚というのだと明らかにされている。

同様のことが『領解文』には、
「たのむ一念のとき、往生一定・御たすけ治定」
と明記されている。

覚如上人の『執持鈔』には、
「平生の一念によりて、往生の得否は定まるものなり」
と、死後、極楽往生できるか否かは、平生の一念で決することが記されている。

この「信楽に生まれた一念」で「若不生者の誓まことだった」と『本願文』三十六文字すべてに疑い晴れることは、すでに繰り返し述べてきた。同時に『本願文』三十六文字と一体になるから、覚如上人は、
「本願や行者、行者や本願」(執持鈔)
とも言われている。
つまり、名号を頂いて「信楽に生まれた一念」に、弥陀の救いは成就完成しているのである。「信楽に生まれさせた力」とは別の力を「さらに」誓わなければ、極楽往生できないというものではない。

弥陀の救いを「極速円融」と親鸞聖人が仰るのも、一念で救いが完成するからこそである。それ以上加えなければならないものは、何ものもないのである。
この、弥陀の救いが一念で成就完成することを明らかにされたのが、ほかならぬ『成就文』ではないか。

田中氏のメールの「さらに」の三文字は、いかに田中氏が『本願文』を誤解しておられるか、『成就文』に無知であるかが象徴的に示されている、と言っても過言ではないだろう。

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