㈱チューリップ企画の販売するアニメビデオ『世界の光・親鸞聖人』について、㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦の記録を公開しています。
徹底検証 親鸞聖人の教え

【第35回】「信楽」になる「本願文」の根拠

この論戦の争点は、一貫している。
私達を「信楽」にするのは、「何の力」か、ただ一つである。
それについての田中氏の見解は、こうである。

◆平成20年1月14日のメール
私達が信楽に生まれるのは、「弥陀の本願力」によるものだということに異論はありません。

「信楽が生まれる」のは「弥陀の本願力」によることを、認めておられる。
ところが、同じ田中氏が、次のようにも言われるのである。

◆平成20年2月2日のメール
「信楽」は「どうして生まれるのか」、「なんの力で生まれるのか」、「いつ生まれるのか」ということは、本願文には明示されておりません。

「信楽が生まれる」根拠は、「弥陀の本願文にない」、との断言である。
こうも言われている。

◆平成20年2月8日のメール
(「信楽」は「どうして生まれるのか」「なんの力で生まれるのか」「いつ生まれるのか」、)私は「本願文での根拠」は知りません。

本願の肝要をお尋ねしているのに、「本願文での根拠は知りません」。

これが田中氏の、「本願」の領解なのである。

「信楽にする」と誓われていない本願に、どうして我々を「信楽にする」力があろうか。
「根拠を知らない」田中氏が、どうして「『信楽が生まれる』のは『弥陀の本願力』による」と、明言できたのだろうか。

先の「平成20年2月2日のメール」では、

だからこそ、釈迦が本願成就文で説明されたのです。

と、田中氏は続けられる。では尋ねたい。
弥陀が「本願文」に誓われていないことを、釈迦は「成就文」に説かれた、とでも言われるのだろうか。釈迦が説かれたことは、「本願文」に「根拠のない」ことなのだろうか。そんな「成就文」を、親鸞聖人が「横超とは即ち願成就」とか、「一実円満の真教真宗」と仰る筈がないではないか。

この点を糾したのが、当方の次の質問である。
◇平成20年6月29日
貴方は、平成20年2月2日のメールで、
『「信楽」は「どうして生まれるのか」、「なんの力で生まれるのか」、「本願文」には明示されておりません』
と言われています。
「本願文に明示されていない」と言うことは、弥陀が説かれていないと言うことですか。弥陀が説かれてないことを、釈迦は説かれたのですか。

これも、未だにお答え頂いていない。
「本願文」と「成就文」の関係を、正しく知られないからであろう。

弥陀が「本願文」に「若不生者」と明示されている「生」の願意を、「死後ではない、現在、信楽に生まれさせる」「不体失往生」と、鮮明に説かれたのが、釈迦の「成就文」であり、親鸞聖人なのである。

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