【第38回】「死後の往生を否定するのか」の疑難に答える
田中氏は、「チューリップ企画は『死後の往生』を否定した」と以下のようにくり返し非難して幕引きを計られた。
◆平成20年6月23日のメール
☆「本願成就文」には、死後のことは一切説かれていません。(3月9日)
☆「本願成就文」の教えはイコール「本願文」(6月19日)
チューリップ企画が、『「本願文」には、死後のことは一切説かれていない』と、死後の往生を否定したことは明白です。
当方は「死後の往生」を否定したことなど一度もない。それどころか、「現在の往生」した人だけが「死後の往生」を得るのだから、「現在の往生(不体失往生)」を急げ、と力説されている親鸞聖人の教えを、開顕してきたのである。120通のメールのやり取りをご覧になれば、明白であろう。
では、「本願文」総ての解説である「成就文」に、「死後のことが一切説かれていない」のなら、「死後の往生」は何処に誓われているのだろうか。
親鸞聖人はこの問いに、「十一願」とその「成就文」を挙げておられる。
「十一願」(必至滅度の願)には、
「設い我仏を得んに、国中の人天、定聚にも住し、必ず滅度に至らずば、正覚を取らじ」
と誓われている。その「成就文」には、
「其れ衆生有りて、彼の国に生まるる者は、皆悉く正定之聚に住す。所以は何ん、彼の仏国の中には、諸の邪聚及び不定聚無ければなり」
と説かれている。
十一願に「国中の人天」とあるのは、「この世で信の一念に国中の人天になる」と親鸞聖人は教えられる。その根拠は、「十八願成就文」の、
「即得往生住不退転」
である。聖人はこの「即」を、平生の聞信の一念だとされ、「時を隔てず処を隔てず即座に往生し正定聚に住するのだ」と教えていられる。
この「十八願成就文」に腰を据えて親鸞聖人は、十一願成就文の「生彼国者」を、「彼の国に生まるる者は」と読まれ、
「彼の国に生まるる者は、皆悉く正定之聚に住す」
の御文を、
「弥陀の浄土に生まるる者は、この娑婆世界で正定聚になっている者だけである」
と領解された。ゆえに「十一願」の「定聚」は「現生正定聚」である、と断定され、弥陀の「十一願」は、
「現生正定聚の人を、死後、必ず浄土で仏覚を開かせる」誓いである、と聖人は説示されたのである。
このように、「死後の往生」を誓われた十一願(必至滅度の願)意を、「十八願成就文」を依憑として鮮明にされ、現当二益の弥陀の救いを開顕された方が親鸞聖人であった。
親鸞聖人の教えは、「本願成就文」以外にないことが、いよいよ明らかに知られるではないか。

